こんばんは。母です。
ハワイに無事着いたようで安心しました☺️
レトリーバーのチョコちゃんもかわいいね🐕
夫の動画撮影がんばりつつ、ハワイも楽しんできてね♪
バレーボールの動画づくり、
小学校の6送会や中学校の3送会で、みんなに今までの頑張りを見てもらい喜んでくれる姿を想像しながら、ナイスプレーや勝った瞬間、負けて悔しい瞬間を切り取って動画編集するのは楽しくて、ついつい夜遅くまで夢中になっていました。
動画を繋ぐのは簡単ですが、なるべく皆んなのナイスプレーを平等に入れたいので、そのシーンを探して切り取ることに一番時間がかかっていた記憶があります。
何より娘の思い出を残すことが出来て、一石二鳥!
サプライズで動画を流すと涙を流して見てくれる人もいたりして、母も嬉しかった☺️
今日は、愛読している致知出版社から届いたメルマガ。何度か目にしたことがあるこちらの作文。生きていることが当たり前ではないこと、心が痛むけれど、愛を持って生きていきたい。と色々と考えさせられる記事。
母の備忘録として残しておきたいと思います。
79年前の8月9日、長崎に原子爆弾が落ちた時、
当時、10歳であった荻野美智子さんの作文です。
****
雲もなく、からりと晴れたその日であった。
私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。
お母さんは畠へなすを捥ぎに行った。
出かけに、11時になったら、ひちりんに火をおこしなさいよ、
といいつけて行った。
けれども、わたしたちは遊びが面白いので、時計が11時になったのに、
一人も腰を上げず、やっぱり、ままごとに夢中になっていた。
その時、ピカリと稲妻が走った。
あっというた時はもう家の下敷きになって、
身動き一つできなかった。
何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。
じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。
二人の姉の姿が外に見えた。大喜びで
「助けて、助けて」とわめいた。
姉たちは、すぐに走り寄って来て、私を助け出そうとした。
しかし、土壁の木舞の組んだのが間をさえぎっていて、
押しても引いてものけられなかった。
大きい姉が
「我慢しろ、ねえ、もうじきお母ちゃんもお父ちゃんも帰ってくるけんね。
姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね」
と励ましておいて、向うに走って行った。
私は縦横に組んだ木舞いの隙間から、僅かばかり見えてる外を必死に見つめて、
お母ちゃんがくるかお父ちゃんが来るかとまっていた。
やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを4・5人連れて走ってきた。
その人々の力で、私は助け出された。
フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が洩れてきた。
弟の声であった。
大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。
その時、また向うのほうで、小さな子の泣き声が洩れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷きになっているのであった。
急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を挟まれて、泣き狂っている。
4・5人の水兵さんが、みんな力を合わせて、それを取りのけようとしたが、
梁は四本つづきの大きなもので、ぴくりともしない。
挟まれている足が痛いので妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。
水兵さんたちは、もうこれはダメだといい出した。
よその人が水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向うへ走って行ってしまった。
お母さんは、何をまごまごしているんだろう。
早く早く帰ってください。妹の足がちぎれてしまうのに。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びして、
あたりを見まわしているばかりだった。
その時、向うから矢のように走ってくる人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。女の人だ。裸らしい。むらさきの体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。
ああ、それがお母さんでした。
「お母ちゃん」私たちは大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。
隣のおじさんがどこからか現れて、妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、
うんうん力んでみたけれど、梁はやっぱり動かない。
おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて
「あきらめんばしかたなか」
いかにも申し訳なさそうにいって、おじぎをしてから向うへ行ってしまった。
火がすぐ近くで燃えあがった。
お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下げている。
妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方をみまわした。
やがて、わずかな隙間に身を入れて、一カ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
バリバリと音がして、梁が浮き上がった。妹の足がはずれた。
大きい姉さんが妹をすぐに引き出した。
お母さんも飛びあがって来た。
そして、妹を胸にかたく抱き締めた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、大声をあげて泣き始めた。
お母さんはその声を聞くと、気がぬけたのか、
そのままそこへ、へなへなと腰をおろしてしまった。
お母さんは、なすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
上着ももんぺも焼き切れちぎれとび、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は、大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ皮がぺろりと剥げて、
肉が現われ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみはじめ、悶え悶えてその晩死にました。
これは、特別力持ちのお母さんだったでしょうか。
4人も5人もの水兵さんが力を合わせても、ぴくりともしないものを動かす、
力持ちのお母さんだったでしょうか。
皆さんのお母さんも皆さんがこのようになったらこうせずにおれない。
しかもこの力が出てくるのがお母さんという方なんです。
以上、致知出版社メルマガ引用
平和な世の中で生活ができることに感謝
未だ戦争が続いている国もあるけれど、戦争がない平和な世界になりますように🕊️
おやすみなさい🌙